はなちゃんの友達がルワンダにいる、ということは旅の前に聞いていたけど、もともとルワンダはルートには入っていなかった。でもルワンダという耳慣れた名前の国にはとても興味があった。
ルワンダと聞いて思い浮かべるのは、1994年のルワンダ虐殺。
一般には多数派のフツ族による少数派ツチ族へのジェノサイド(民族浄化)と言われている。
被害者のツチ族はルワンダがヨーロッパの植民地になる以前からルワンダの支配階級であり続けていて、加害者のフツ族はずっと被支配階級だった。
支配の構造を守るためにツチ族に虐げられてきたフツ族の不満。第二次世界大戦後の民主化でやっと自分たちの民族から大統領が出た喜び。それでも是正されない格差への憤り。そしてある日、彼らの大統領が乗った飛行機が何者かの放ったミサイルで打ち落とされた。
そしてその絶望が悲劇の引き金となった。
首都キガリにあるジェノサイド記念館。ここには1994年のジェノサイドで亡くなった方たちが眠っている。画面から当時生き残った方たちが語っている。
悲惨なジェノサイドは確かにあった。
しかし悪いのはジェノサイドを実行したフツ族の人たちだけなのか。彼らはとことんまで希望を奪われたのだ。
それともジェノサイドに至るまで彼らを支配し続けたツチ族の人たちだけなのか。家族を殺されるほどのことを彼らがしたわけではなかったのだ。
この悲劇を作り出したのは断じて彼らではない。
ワンピースという漫画にアラバスタ王国の話が出てくる。平和だった王国が外から現れたひとりの男によってかき回され、国民同士が対立し、お互いを傷つけあい滅亡までまっしぐらに突き進んでいく。
漫画の中では、主人公ルフィーと仲間たちがその男を倒し、めでたく大団円を迎える。そして互いに傷つけあい戦争の終わりを迎えても戸惑っている国民たちの前で、王様が強く語りかける言葉がある。
『過去を無きものになど誰にもできはしない。この戦争の上に立ち、生きてみせよ!』
この後、アラバスタ王国は急激な成長を遂げる。
1994年以降、アフリカの奇跡と呼ばれたルワンダの成長。これは虐殺の過去の上に立ち、強く生きることを決めたルワンダの人たちのたゆまぬ努力によるものだ。
〈ルワンダの奇跡〉まとめ
http://matome.naver.jp/m/odai/2140132865193867101?page=1
ルワンダにとっての『外から現れた男』たち。
彼らこそが自分たちの利益のために、民族対立を煽って、双方の過激派に武器を供給してこの悲劇を引き起こした黒幕なんじゃないかなとルワンダ虐殺について調べれば調べるほど考えてしまった。
1994年に書かれた「ルワンダ動乱は正しくつたえられているか」という元ルワンダ中央銀行総裁、故・服部正也氏の文章では当時のアメリカメディア、日本メディアの偏向報道に多面的な分析から反論がなされている。読みながら何度もうなづいてしまった。この悲劇をなかったことには出来ない、でもこの悲劇から学ぶことで未来は変えられる。
ルワンダの首都キガリの街をバイクタクシーに乗って走る。活気のある市場で言葉が通じないながらも笑顔で果物を買う。キガリはたくさんの丘が連なっている穏やかな街。観光の目玉はマウンテンゴリラだけど、今回は見に行けなかった。
早朝の飛行機でキガリを出て、ナイロビ。そこからダルエスサラームに戻る飛行機の中からキリマンジャロが見えた。
ルワンダの観光のテーマは
“Beyond the Gollira”
『ゴリラを越えていけ』だそうだ。
今ここで求められているのは新たな産業を生み出し、ルワンダを発展させていこうとするパワフルな人たち。今回お世話になった人たちは、まさにルワンダでアフリカンドリームを体現しようとしている。
絶対またルワンダに来ようと思う。今回見逃したゴリラと、ゴリラを越えていった人たちに会うために。
About The Author
Roppei
将来の飲食店開店を目指して大学卒業後、高級スーパーマーケットに就職。野菜売場、乳日配売場を担当して食材の面白さを肌で感じる。鹿児島に移住するタイミングで転職。飲食店向け広告営業をやりつつ、鹿児島の街を元気にする活動に色々参加するうちに鹿児島で自分の飲食店をやりたいと思い始める。飲食店の現場で修業したいと思い、再び東京に。丸の内にある大型繁盛店で基礎基本を叩き込んでいただく。その後、自分の独立したい形に限りなく近い小さくて強いお店を何店舗も運営している会社に転職。2014年10月で退職し、世界一周旅行へ。
日本に戻ったら、鹿児島でワイン居酒屋を開店。鹿児島の街を元気にする活動を再開!
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