ボスニア・ヘルツェゴビナ①戦争の傷跡に触れたサラエボ Felt the past war in Salajevo/ Sentido la guerra pasada en Salajevo
|2015.7.8 Tivat, Montenegro→Visoko, Bosnia and Herzegovina@Hostel Kingdam Visoko
2015.7.9 Visoko→Sarajevo, Bosnia and Herzegovina→Pecs, Hungary@Olive Hostel
連日の移動でモンテネグロのティバットからボスニアヘルツェゴビナのビソコを経由しサラエボへ。駆け抜ける移動の東欧。ボスニアでこの旅25ヶ国目。ボスニアに向かう際の道は、アメリカはアリゾナ州でのNever lost(アメリカで借りたレンタカーについていたカーナビの名前)体験を彷彿とさせる刺激的なドライブだった。
愛車ダンキチで登る山道は、車1台分しかないんじゃないかと思わせる狭い狭い道。ガードレールのない道はもちろん舗装されておらず石だらけ。気づけばもの凄い高さの山の上まで来ている私たち。マジで怖い。怖すぎる。いや、でも絶景。この日は確実に寿命が縮まりました。無事に抜けられて良かったよ、ほんと。ダンキチ&ろくちゃんに感謝なのです。
さらに、ボスニアに入ると道の拡張工事中。
一瞬、あれ?!通行止めしてたのに入っちゃったのか私たち!?と思いましたが、そんなことはありません。ちょっと皆さんに待っていただいて、道の整備をしてるだけなんです。この時の作業員さんの腕前が素晴らしかった!待っていることなど忘れて、ちょっとみとれてしまうぐらい。あんなにデカい重機を繊細に操作して、ガツんと土を掘り起こすかと思えば、これから私たちが通る路面から丁寧に土をよけてできるだけ水平にしてくれました。これまただいぶドキドキしましたが、なかなか興味深い光景でした。
一瞬、あれ?!通行止めしてたのに入っちゃったのか私たち!?と思いましたが、そんなことはありません。ちょっと皆さんに待っていただいて、道の整備をしてるだけなんです。この時の作業員さんの腕前が素晴らしかった!待っていることなど忘れて、ちょっとみとれてしまうぐらい。あんなにデカい重機を繊細に操作して、ガツんと土を掘り起こすかと思えば、これから私たちが通る路面から丁寧に土をよけてできるだけ水平にしてくれました。これまただいぶドキドキしましたが、なかなか興味深い光景でした。
高速道路を通る時は通行料金の支払い方が様々なヨーロッパ。無料もあれば、距離の料金制もあり、事前にガソリンスタンドなどで必要な日数分のヴィネット(高速の通行証)をもらう国もあります。ボスニアのルールを調べ忘れてドキドキしていたのですが、ボスニアでは現在高速道路を絶賛建設中。まだほとんど通っておらず、ワイルドに変わる景色を楽しみながらドライブができます。(ちなみに、ほんの少し乗った高速区間は、人がいる料金所での距離支払い制でした。)
ここまで各国をドライブし続けてるろくちゃん。何気にボスニアでのドライビングはくるくる変わる景色がかなり楽しかったようです。全然舗装が完了してないトンネル続きの道とか、ものすごい綺麗な川が流れるキャニオン沿いとか。
1995年まで続いていた内戦から復興を遂げようとしているボスニア。田舎はまだまだ綺麗な自然が残っていて、カヤックやキャンプなどアウトドアのスポーツを楽しむ新しそうな施設ができてきていたりと変遷の途上のようでした。
ボスニアを訪れた最大の目的は、内戦で大きな傷を受けた町サラエボをみること。内戦の当時、ジャーナリストがこぞって泊まっていたHoliday Innがあった辺りに行ってみました。
近くには、ギラギラと輝くどデカいディスプレイにうつしだされた広告や、商品がとても綺麗にディスプレイされたスーパーが入るモダンなショッピングモールもできていて、かなり復興が進んでいるようにも見えましたが、それはどうやらまだほんの一部。
近くには、ギラギラと輝くどデカいディスプレイにうつしだされた広告や、商品がとても綺麗にディスプレイされたスーパーが入るモダンなショッピングモールもできていて、かなり復興が進んでいるようにも見えましたが、それはどうやらまだほんの一部。
通りを歩いていると、かなり古いマンション群。
建物の壁に残るのは、生々しい銃撃の痕。
今は普通に暮らしているように見える人々も、大半の大人の中には当時の凄惨で苦しい記憶が刻まれているのかと思うと、とても複雑な気持ちになりました。
建物の壁に残るのは、生々しい銃撃の痕。
今は普通に暮らしているように見える人々も、大半の大人の中には当時の凄惨で苦しい記憶が刻まれているのかと思うと、とても複雑な気持ちになりました。
この地を訪ねる前にろくちゃんと見た一本の動画。その中で1人の男性が話していた言葉がとても印象的でした。
「これは民族紛争なんかじゃない。僕たちはつい昨日まで仲のいい隣人同士だったんだ。その友達と今日から急に憎しみあえと言われても、そんなことできるわけがないだろう。」
モダンになりつつも、なにか物悲しさを感じさせるサラエボの町を歩きながら、ろくちゃんと戦争や安保法制についての話もたくさんしました。以前、私の父がぽろっと言っていた言葉を思い出しました。「戦争を望んでる国民なんてどこにもいないんだよな。そして、戦争を始めるのはいつも政治家だ。」
ようやくつかんだ彼らの安心な暮らしが、どうかこのまま長く続きますように。
長く続けられる努力を、皆でし続けられますように。
そうそう、たまたま一泊したビソコのホステルのすぐ近くに、世界最古かもしれない!?(と関係者達は思っている)ピラミッドがあったのですが、その話はろくさんブログで。
Hanae(^ ^)